歴史・沿革
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学校紹介
歴史・沿革

1942年の創立から現在まで、私たちは生徒たちの成長を一番近くで見守り続けてきました。
これまでの歩みで培った「教育の芯」は守りつつ、時代の変化を追い風に。
伝統と革新を積み重ねながら、次代を担う若者たちと共に、当校はこれからも進化し続けます。

創設者・石野瑛先生:情熱と「教えたい」という想い

本校の創設者・石野瑛(いしのあきら)先生は、何よりも「若者と共に歩むこと」を愛した教育者であり、同時に郷土史研究に情熱を注いだ学者でもありました。

17歳で教壇へ、学び続けた青年時代

1889年、大日本帝国憲法が公布された年に生まれた石野先生は、わずか17歳で小学校教師としてのキャリアをスタートさせました。その後、沖縄での校長職や、28歳での早稲田大学への入学など、働きながら学び続ける「行学一体」の精神を自ら体現します。

大学時代は、昼は学生、夜は教員、さらには幼稚園の運営を助けるなど、まさに「三足のわらじ」を履く多忙な日々を送りながら、横浜の文化向上にも尽力しました。

「教壇こそが私の居場所」

関東大震災を乗り越え、横浜翠嵐高校の前身などで教鞭を執っていた石野先生は、歴史家としても高く評価されていました。ある時、県から「歴史編纂に専念してほしい」と教職を離れるよう打診されます。 しかし先生は、「教壇からおろされるのは死ぬほど苦しい。青少年と離れるのは堪えられぬ」と、教育への並々ならぬ情熱を語っています。

1942年、激動の中での開校

この「生徒たちと共にいたい」という強い願いが、1942年の本校創設へとつながりました。

1.世界平和と国際協調に基づく道義の昂揚
2.個性の伸張、独創力の啓培による科学教育
3.実行力と責任感を涵養する行学一体の徹底

激動の時代に掲げられたこの建学の精神は、80年以上経った今も、本校の教育の柱として大切に受け継がれています。

創設者・石野瑛先生

激動の時代に産声を上げた「武相学園」の物語

1. 「一刻も早く、学びの場を」
― 執念の校地探し

1942年、太平洋戦争のまっただ中。創設者・石野瑛先生は、当時の深刻な「中学校不足」から若者たちを救うため、53歳にして学園設立という大きな一歩を踏み出します。

候補地となったのは、当時中学校が一つもなかった港北区。雪の降る夜、泥道を進みながら地主を訪ね歩いた石野先生。そこで奇跡が起きます。戸を叩いた家の息子が、偶然にも石野先生の教え子だったのです。 「先生への恩返しをする時が来た」という教え子の尽力により、北京にいた父親から快諾を得て、わずか数週間で設置申請へとこぎつけました。

2. 空襲下の船出と、立ちはだかる壁

1942年4月18日。合格した220名の生徒たちが初めて校舎に集まったその日、校舎の真上を敵機が低空で飛び抜けていきました。日本本土への初空襲(ドーリットル空襲)です。

まさに波乱の船出でしたが、追い打ちをかけるように、県から「校地が狭すぎる」と設置認可の再考を求められます。入学考査はすでに終えているのに、学校としての正式な認可が下りない……。石野先生は再び、昼夜を問わず理想の土地を求めて奔走することになりました。

3. 「武相台」との出会い、そして創立記念日へ

ようやく見つけたのが、現在の「武相台(松風台)」です。当時は一面の萱(かや)が生い茂る原っぱでしたが、石野先生はその丘からの景色に魅了されました。 「東京湾を望み、西には富士山や箱根の山々が見える。こここそが武相学園にふさわしい!」

資材不足の戦時下、生徒たちも一緒になって手作業で土地を切り拓き、1943年、ついに新しい校舎が完成します。再申請が認められ、まばゆい太陽が輝いた6月24日。この日が、今日まで続く武相学園の「創立記念日」となったのです。

焦土からの再出発、
そして「武相」の形へ

1. 戦火を越えて守り抜いた学び舎

戦争が激しさを増す中、武相学園も大きな試練に直面します。1945年4月、空襲によって富士塚校舎が焼失。石野先生が30年かけて築き上げた膨大な歴史資料も、すべて灰になってしまいました。 先生の自宅も焼け、学校のそばに小屋のような家を建ててしのぐ日々でしたが、それでも「生徒たちの学びを止めない」という情熱が消えることはありませんでした。

終戦からわずか3日後の8月18日。混乱の中で多くの学校が休校する中、武相はいち早く授業を再開します。食料も水も足りない厳しい状況下でしたが、武相台には再び生徒たちの声が響き始めました。

2. 校歌と「動静章」に込められた想い

1945年の暮れ、待ち望んでいた「校歌」が誕生します。石野先生が言葉を紡ぎ、弟の博先生が曲を付けたこの歌は、創立以来ずっと先生の心に温めていたものでした。 同時に、現在の校章である「動静章(どうせいしょう)」も考案されました。激動の時代を経て、新しい日本を担う若者たちへ「動と静の調和」を求める願いが、この紋章には込められています。

3. 「新制・武相中学・高等学校」の誕生

戦後の混乱を乗り越え、1946年には第1期生が卒業。念願の校舎増築や水道の開通など、一歩ずつ学校としての形を整えていきました。 そして1948年、教育制度の改革(6・3・3制)に伴い、旧制中学校から現在の「武相中学校・高等学校」へと生まれ変わります。

17歳で教壇に立った一人の青年の情熱から始まった物語は、こうして新時代の教育へと引き継がれ、今の私たちへとつながっているのです。

『武相の名前』の由来

校名の由来は、校舎が立つこの美しい丘からの眺望にあります。 武蔵と相模、二つの国を見渡せる素晴らしい景色から「武相」と命名されました。創立者の石野先生がこの地を初めて訪れたときに感じた、未来への広がりと期待。その想いは今も、この丘で学ぶ生徒たちを見守っています。

略年表

昭和17年 武相中学校(旧制)設立認可
昭和22年 学制改革により新制武相中学校を設置
昭和23年 新制武相高等学校を設置
昭和27年 高等学校に商業科を設置 / 建学碑建立 / 創立10周年
昭和37年 創設者・石野瑛 初代校長 逝去
昭和39年 第2校舎竣工・講堂兼体育館(第1次)完成
昭和47年 創立30周年 / 第1グラウンド・第3校舎竣工
昭和57年 創立40周年 / 第5校舎(特別教室棟)竣工
平成04年 創立50周年記念館竣工 / 創立50周年記念式典
平成09年 軽井沢教育研修センター竣工
平成11年 理科実験室へのコンピュータ導入・理科実験棟竣工
平成14年 創立60周年 / 新講堂・体育館竣工
平成17年 全教室のITマルチメディア化推進
平成21年 校舎の大規模耐震補強工事完了
平成29年 第4校舎大規模改修・全施設LED照明設置
令和02年 矢口浩幸校長就任(教育環境のさらなる近代化)
令和04年 第1グラウンド全面人工芝化
令和07年 田中徳孝校長就任