祖父 石野 瑛は、大正から昭和にかけて学問への志を抱いた若者には狭き門であった状況の中で、まず「学びの場」を提供することに意義を感じました。
「学園は金で建てるのでも木や石や鉄で建てるのでもない。何としても精神で創建するのである。そして学園の根本的要素は教師と学生との精神交流であることは言うまでもない」として1942年、すすきが原のような何もない高台に学び舎を建てました。
武蔵の国と相模の国を見渡せる高台から「武相学園」と名付けました。
建学の精神として
・「実行徹底」 (「動」・色は丹)
・「個性伸張」 (「静」・色は青)
両方が重なり、魂の教育
・「道義昂揚」(「動中静あり、静中また動がなければならない」・色は紫)
の3本柱をかかげ、丹(朱)・青・紫をスクールカラーとしました。
当時としては珍しく教育に差別はないと私立であるにもかかわらず、国籍を問わず様々な人々に開放しました。
このような方針のもと、生徒の皆さんには明るくのびのびとした学校生活を送り、自分の個性を伸ばしていただきたいと思います。
学校長 石野 雅子